鈴木通訳と黒い車(リムジンカー)
[2007.02.12]
我々は世界各国の様々な場所を訪れて、何かしら目新しい発見をし何かを新たに学ぶ事が多いです。こちらトルコでも既にあらゆる映像のコレクションが私の脳裏に記憶されており、それらに関するエピソードも伴います。興味深いことに、私はサッカー監督として見られ、サポーターには敬われているのですが、遠く離れた東洋の地で営んでいた生活とは異なるのです。今回は、日本でのその特別な生活パターンはどんなものだったのかについて一つのストーリーを紹介します。
元サッカー選手の私は、鹿島アントラーズに在籍してサポーターの愛情を得ました。更に日本代表監督の座に就いた際には国民との親近感も深まりました。どんな場所を歩いても、人々はそれぞれの気持ちを写真撮影とサインを求めることで表現してくれたのです。
この関係の一例が、私が参加した講演、コマーシャル撮影や公式イベントでも表せます。日本では、正客はかの伝統的な「黒い車」であるリムジンカーで訪れる習慣があるのです。この様な事は普通だと言えます。でも、元より私は車の運転が大好きであり、普段はこの便宜を断ってマイカーで行くようにしていました。でも、私の友人であり通訳の鈴木は、お供をするも、常に「黒い車」は断らないように頼んでいたのです。
「ねぇ~ジーコ、何で敢えて渋滞と困難に直面して疲れる訳?黒い車を手放さないでよねー!」と、サン・クリストヴァォン(リオ・デ・ジャネイロ)の元住人でフラメンゴファンの、私が知り得る最もカリオカ的な日本人は、満面の笑みを浮かべて話すのでした。
勿論この快適さへの配慮の裏腹には、セレモニー会場へリムジンで到着時に警備陣は敬礼を尽くし、人々は敬意を示すという事実が存在し、鈴木通訳はこの状況に陶酔していたのです。彼は常にナイスガイで素朴な人物ではあったのですが、この母国民との関係が彼にとっての栄誉的且つ満足感の一時であり、それなりの楽しみに値したのでしょう。
私を先に送ってから、町中を自慢げに観光しながら、自宅まで誇らしげに送り届けてもらう鈴木通訳は、「ジーコ、疲れないでよ。車は運転手付きだから、自ら疲れる必要はないよ。」と、話すのでした。
この慣習は大変興味深いものです。何故なら、ブラジル又は何処へ行っても、私は己のことは全て自分でやるのが好きなのです。車の運転、空港での手続きなど、依然としてこのような特権を気にしたことなどありません。でも、親愛なる鈴木はこれら全てに楽しみを抱いており、多くを共にして私が日本を後にする感傷的な一時に、彼に一芝居見舞われたのです。寂しげな暗い表情をして、私に近づき抱きしめたのです。私は咄嗟に、今後も再来日と再会を果たすことを彼に伝えました。勿論、別れの雰囲気を和らげるためにです。すると彼は感動的に次のような発言をしたのです。
「そうだよね…、どうせまた会えるのは分かっているから、あなたが帰るのは別にどうってことはないよ。でもね、ジーコ、問題は今後黒い車や敬礼とおさらばすることなんだ。」
我々は爆笑しました。勿論、彼に伝えたとおり、最近彼が日本人新聞記者団に帯同してイスタンブールを訪れた際に再会を果たしました。そして、彼がブラジル流に発した一声が「サウダーデ…」だったのです。その言葉に私なりに応えようとしたその瞬間、彼独自のスタイルで、「…黒い車が懐かしいよ、ジーコ!あなたがいなくなってから二度とないよ。本当にサウダーデだよ!」と続けたのです。
そこで我々は再び大笑いをして、リムジンカーで訪れたイベントの数々を想起しました。別れの時に、更に私は一本取られる前に次のような質問をしたのです。「鈴木、お前は紛れも泣くリオ・デ・ジャネイロ出身でないことを確証できる?」
正に鈴木は、偉大なる人物であり、顕著な通訳である以前に、日本で長きに亘り私の影武者を務めた素晴らしいパートナーでもあるのです!


