バックナンバー

神様ジーコの「ワールドカップの英雄たち」

[2007.02.28]

ジーコ著 小学館 1300円  1996年11月20日発行  ≫購入はこちらから この作品も「勝利の法則」に続き、週刊ポストで1995年11月24日号から1996年7月5日号まで掲載されたコラムに加筆、再構成されたもの。29名の有名選手についてジーコのコメントと選手のコメントによって構成されている。この本が刊行されたのは日本サッカー界でJリーグというプロのリーグのスタートが成功し、ワールドカップの日韓開催が決まってオリンピックでもブラジルに勝利した時期でもあった。ジーコはこれから更に日本サッカーが発展していく上で歴史を勉強する重要性があること、ワールドカップで戦った有名選手を通しその素顔や世界最大の「戦場」での戦いについて学ぶ事はとても多いものだと語っています。ペレに対して最初は近寄る勇気さえなかった事やマラドーナのファンであるエピソードが書かれています。あとがきにはその後2005年アジアカップで優勝の立役者となったGK川口能活のコメントが出ていることも興味深いです。 目次ペレ、ガリンシャ、ベッケンバウアー、リベリーノ、セレーゾ、ソクラテス、ファルカン、ジュニオール、ロッシ、テレ・サンターナ、ルンメニゲ、カレカ、マラドーナ、リネカー、リトバルスキー、クリンスマン、グーリット、スキラッチ、バレージ、ドゥンガ、バッジオ、ストイチコフ、レオナルド、ベベット、ジョルジーニョ、ロマーリオ、ゾラ、サビオ、ラモス ……

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フェネルがアウエーでAntalyaに敗れる

[2007.02.27]

試合マラソンが続いているフェネルはスーパーリーグ、アウエーで0-1Antalyasporに敗れた。Galatasarayが引き分け、Besiktasも敗れたため、フェネルの状況は変わらず44ポイントのままであるが2位との勝ち点差は6ポイントとまだ開きがある。   ジーコのコメント:この試合、内容は良くなかった。試合が続いている事もありフィジカル面でも、またUEFAカップの精神的影響からもよくなかった。内容的には相手が後半作り出したチャンスを決め、こちらは再度決定的なチャンスを決められなかった。しかしながら現在まだ良い状況で首位にいる。今一番大事なのは落着きを保つ精神的なバランスであると思う。……

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イスタンブールでのカーニバル

[2007.02.25]

こちらトルコの地では、私が少年時代から馴染んだお祭りである、かのブロッコ(カーニバルの団体)やキンチーノ地区での野外ステージでの楽しみは存在しません。いわゆるカルナヴァオ(カーニバル)です。今日では「エスコーラ・デ・サンバ(サンバ・グループ)」と称される団体のパレードのように、最終的には真なる野外劇場へと移り変わったこのお祭りは、一地域の街路から始まったのです。そして、カルナヴァオ(カーニバル)とサッカーは常に関連性を持っています。更に、多くのブラジル人同様に、私にとってのパッションでもあります。そして今週の火曜日、遠く離れていようとも、ヨーロッパ・コネクションの今回のテーマはカルナヴァオ(カーニバル)以外に有り得ません。 ほぼ絶えずに例年アヴェニーダ(サンバパレード街道)でエンジョイしていた私は、世界化故に、今年度はブラジル及びリオ・デ・ジャネイロで起こり得る全てを遠くから見守っています。テレビ「グローボ・インテルナショナル(グローブ・インターナショナル)」がパレードの模様を放映し、インターネットでは写真及びニュースを見ることが出来ます。報道の進化は、現在においてかなりその距離を短縮したのです。過去選手としては、私は僅かに数回のみ、心の「エスコーラ・デ・サンバ(サンバ・グループ)」である「ベイジャ・フロール」を遠くから見守りました。私の記憶によれば、日本で活動していた現役終盤時代のみではないかと思います。 余談ではありますが、ここで私の日本での体験を語るに値するのではないかと思います。ある時、日本サッカー協会の川渕三郎キャプテンと会話をしていた際に、ブラジル人のクリスマスと大晦日、そしてカルナヴァオ(カーニバル)との深い関係を大変興味深く感じるのだと彼は話したのです。ブラジル人選手達は多くの場合、特にJ1のチームにとっては主に試合が12月に開催される天皇杯への出場か否かを契約書の条項に盛り込んでいました。そして、カルナヴァオ(カーニバル)も同等なる重要性を持って取り扱われていたのです。 私自身は、見物するよりも遥かにお祭りに参加して歓楽を尽くすことを好む、真なるお祭り男だと確信を持って告白します。従って、今年は例年の習慣とは異なる、テレビを通じて「エスコーラ・デ・サンバ(サンバ・グループ)」を見る機会があり、テクノロジーやショー・アップの高度化がパレード自体を均衡化させるかに気付きました。正に全てがハイレベルで似通っており、モニター映像では審判定を下すのは不可能だと言えます。実際に現場(サンバパレード街道)にいてこそ詳細なる差異が判るのです。 そして、こちらイスタンブールにて連想させられた興味深い局面は、カルナヴァオ(カーニバル)の調和の取れ方に対してであり、このハーモニーはサッカー界にとっての教訓のみではなく、この不穏にも荒廃したブラジル自体へのインスピレーションとなるのではないでしょうか。この時期、ちょうどこの期間、満喫するために万人が一体となるのです。更に、仮装行列が人々を混合させます。そして、Sambódromo(サンボードロモ、サンバパレード会場)でのスタンドで、ライバル同士が入り混じってお互いを尊重しながら情熱的に応援する光景は美しいものです。このような寛大さ溢れるサッカーが観られれば何と素晴らしいことでしょう。そして、生活はもっと平穏になるのではないでしょうか。 これが私のイスタンブールでのカルナヴァオ(カーニバル)なのです。家族やお祭りへのサウダーデ(郷愁)は感じるにせよ、決して悲しくなどはありません。何故ならば、私はこちらで日々仕事に取り組み、進化していることに幸せを感じているのです。これは正にミッションなのです。追求すべきは常に100点満点です。でも、ブロッコ(カーニバルの団体)が街頭を練り歩くが如く、我々にとってもパレードが待ち受けています。 と云うことで、また来週! それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ! ……

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フェネルバフチェ、アンタリアでの試合に向けて全力を集中

[2007.02.24]

Superlig(トルコリーグ)で2位と勝点差7で首位を独走するフェネルバフチェはUEFAカップでの敗退を悔やむことは禁物であり、況してやその時間さえ無いのが現実だ。連戦は止まらず、今週の金曜日にはトルコへと戻り、日曜日に開催されるアゥエイでのAntalyaspor戦に向けての準備が待っている。 ジーコ監督は、練習を時間と戦いながら行っているが、怪我の問題にも関わらずにリーグ戦を乗り越え続けている、選手達の闘志が強みだと言える。……

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フェネルバフチェ、AZ戦ドローでUEFAカップ敗退

[2007.02.23]

ジーコ監督率いるチームは、本拠地オランダでは負け知らずのAZとの決戦でビッグゲームを展開した。前半は2-0でリードして折り返すも、後半42分に2失点目を喫して、試合終盤にドローを許してしまった。 イスタンブールでの第1戦目を3-3引き分けていたので、アゥエイでの得点が下回りUEFAカップでの敗退を余儀なくされた。TumerとAlexが得点を決めたフェネルバフチェは今後、単独首位でリードするSuperlig(トルコリーグ)と、トルコカップに全力を集中する。 ジーコのコメント:「残念ながら、アウェイゴール方式で、敗退を強いられてしまった。でも、2点のアドバンテージを得た素晴らしい前半を繰り広げ、終始効内容の試合が展開できた。進出を確実にするためには試合のリズムを保つべきだったが、決定機を数多く逃して後半途中に失点を喫してしまった。守備的なボランチDenizを失ったにも関わらずに、我々のチームは精度の高い早いパス回しで敵に襲い掛かり試合を支配し続けることができた。でも、後半43分にセットプレーから我々は守備のミスを突かれて同点を許してしまい、敵が出場権をキープしてしまった。但し、我々は効内容の試合を展開したことで、胸を張って会場を後にした。でも、決して決定機を逃してはならず、更に幼稚なミスを犯すことは禁物だと言う教訓が残った試合だ。前進あるのみだ。」 ……

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ジーコがフェネルTVに出演!

[2007.02.22]

ブラジルのサポーターの夢でもあるプロジェクトを知る機会に今週恵まれました。それはクラブの情報を全て提供するフェネルのTVのことです。ホームスタジアムの中に特設スタジオを持つフェネルバフチェTVは独立チャンネルとして存在しています。クラブとも連携を密にしていますが、それ以外にニュースや天気、経済の情報番組もあります。この4年間、サッカーの練習風景やバスケなどを含むフェネルで行われている全てのスポーツの情報を知る事が出来ます。我々はサポーターと直接つながっているこのTVの活動に協力し、全てオープンにしてきました。ヨーロッパではさほど目新しい事ではないが、大変素晴らしい事であり、質の高い仕事をしています。この度フェネルTVの取材を受け、自分のキャリアについて話すことの出来る機会に恵まれました。自分のウデイネーゼ時代を含む選手として、また監督として日本代表の任期中に得た経験について話しました。 また、自分のオフィシャルサイトを通じブラジルと日本においてトルコを紹介している事も話しました。この2カ国のメデイアに対してアピールしており、既に彼らがイスタンブールにも取材にも来ています。最終的には街だけではなく国も知ってもらう事が出来ると思います。今回は素晴らしい体験であり、我々といつも活動を共にしているスタッフの皆さんに感謝しています。これからもよろしく!……

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フェネル勝利! スーパーリーグを再度独走

[2007.02.20]

ブラジルでカーニバルの終わった18日はイスタンブールのフェネルとそのサポーターにとっても重要な1日だった。ここ2試合勝利のなかったフェネルはホームで1-0でSakaryasporに勝利した。得点者はTumer前半19分だった。 ジーコはこの試合で二人のレギュラー選手LuganoとEduDracenaを起用する事ができた。レギュラーメンバーではKezmanと Mehmet Aurelioの二人がまだ復帰していない。 BesiktasとGalatasarayが負けた為、勝点差は再び7ポイント差となった。この試合の結果、フェネルは第21節を終え勝点は44ポイントとなった。現在フェネルは得点40,失点19得失点差でもリーグで良い成績を残している。また、この試合はジーコが率いて42試合目で27試合の勝利だった。 ジーコのコメント:難しい試合だった。前半は内容的にもっと点が入ってもよかった。しかし、大事なのは3ポイントの勝点をとった事。リーグ再開時と同じ7ポイント差にする事ができた。 ……

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万人が辿り着きたい所

[2007.02.17]

私はトルコの地に足を踏み入れた時点で、厳しい挑戦が待ち受けていることにすぐさま気付きました。国内大会では、3チームが抜きん出ているとは言えども、全体的にはバランス・オブ・パワー(勢力均衡)が特徴でもあります。そして、中堅チームとの試合が差をもたらすのです。トルコリーグの前期は我々にとって、ある面で順風満帆だっとと言えるかも知れませんが、その反面後期は異なる兆候を見せています。その理由は多々あり、今週のヨーロッパ・コネクションは、このテーマを多少なりとも取り上げることにします。 トルコリーグの前期に当たる17節までは、大変効果的な戦いを展開して、中断前には勝点差である程度余裕のアドバンテージを開くことが出来ました。でも、現時点で年末の中断期間を分析すると、さほど有益ではなかったかのように見えます。リーグ再開が全体的に競争を煽ったことに注目して下さい。後期3節終了時点で、13試合が0-0または1-0で終えており、この結果は唯単に敗北を喫しない試合展開に対する、多くのチームの意気込みをあらわしています。 勿論、この戦い方には理解できます。時が過ぎ、大会が終盤戦へと向かうに連れて、誰しも降格ゾーン付近からは逃れたいのです。その反面、首位グループに近づくことは欧州大会への出場権獲得にも繋がり、自ずと拮抗した試合スコアを招き、試合自体も些細な点で勝負が決まるようになります。それ故に、大量得点による圧勝は、一般的には「2失点でも10失点でも負けには変わりない」的理論に基づいて、1失点を許し、更に2失点目を喫した時点で、チームが闇雲に前線での攻撃に転じる試合で生じます。 小なる野心のチームにとって、首位を下すことはタイトル制覇ほどの価値があり、フェネルバフチェの場合は更なる標的とされるのです。依然として士気の低かったチームは、我々との対戦での勝利で、闘い続けるための動機づけを試みるのです。 私は、首位としての重大なる責任とプレッシャーが存在するのだと選手達に話します。そして、我々はどんなチームをもみくびってはいけないのだと伝えるのです。リーグ後期再開時には、我々は勝点差7のアドバンテージを有して臨み、現時点ではその差が4へと落ち、それも格下だと見做されるチームとの試合で勝ち点をロスしているのです。ピッチ上では、強弱はゴールネットにボールを突き刺して証明するものです!仮に、ゴールが決められなければ何ら意味はありません。私は、気持ちを込めて、常に闘志を燃やし、一試合一試合が決戦であることを肝に銘ずる準備が必要だとチームに示すようにしています。 我々には、クラブ創設100周年のプレッシャーが重く圧し掛かり、更には怪我人の問題を抱えるだけではなく、現在は5人の選手が代表に招集されています。これらの状況に加えて、我々は欧州の大会であるUEFAカップで勝ち進んである唯一トルコのチームだという事実以外にも、トルコカップが待ち受けているのです。 現時点では、リーグ一時中断は我々にとって有利ではなかったのかも知れませんが、不平を言っても始まりません。大会は既に後期が再開しており、我々は強い意志と集中力を持って、結果を得るために最たる献身をし続けなればいけないのです。正にチームの潜在能力は申し分ありません!そして、私は確信しているのです。 と云うことで、ウン・グランデ・アブラーソ! それでは皆さん、また来週! ……

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フェネルバフチェ対AZとの第1戦目はドロー

[2007.02.16]

ホームゲームで、フェネルバフチェはUEFAカップ・トーナメント戦第1戦でのオランダのAZとの試合をドローで終えた。チームは常に不利な展開で、先ずは1-0と先制されて、その後3-1となるも反撃をみせた。 ゴールはTumerが2得点とTuncayが1得点を決めた。この結果により、カナリア軍団(フェネルバフチェ)は、ベスト16への出場権を得るためにはオランダでのアゥエイ戦で勝利する必要がある。 ジーコのコメント:「逃した得点機会を考慮すれば、勝利を得てピッチを後にしたかったのは言うまでもありません。でも、立ち上がりに1失点を許し、その後立て続けに2失点を喫して3-1にされると言う、終始不利な試合状況を考えると、愚痴ばかりは言えません。能力の高い選手達を有して積極的に攻撃を仕掛けるチームに対して、我々は常に闘志を燃やして反撃力を発揮できたことで、アゥエイのオランダでの勝利への可能性を信じて出陣するのです。次なるは、ドローゲームは許されず、唯単なる勝利が進出を我がものとしてくれ、とかく前進するのみなのです。」 ……

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2007年02月13日(火)

[2007.02.14]

ハ~イ。最近は意見交換を行っていなかったので、今回のポスティングは皆さんからのメッセージに対するコメントだよ。 最初に、私の兄エドゥーに代わって、数々の温かいメッセージに対してお礼を言うよ。Marquinho、Marcus Vinicius Macedo、Mauricio Martins、Marcelo Caju、Ricieri Stapazzoli、Victor Kingma、Aloisio da Costa、Fabio JustinoとRenataBottino、Alexandre Mariano (Panda)、Alecir Simoes、Mauro Tavares、友人のSergio Sapo、そして偉大なるMoraesが、エドゥーだけではなく我々の家族全員の名まで記してナイスなメッセージを送ってくれた皆さんだ。本当にアリガトウ! Marcelo "CeloCRF" Barreto、多くの人々に好評で、尚且つ、私をタイムスリップさせてくれる映像を復元させてYoutubeで視聴可能にした功績をオメデトウ。サイトスタッフが、こちらのサイトでも、ゴールやその他のプレーシーンなどの目新しい映像が予定されていることを確認してくれたよ。Glorita、お褒めのことばをアリガトウ。Rogerio、あなたのメッセージは感動的だね。ヴァスコ・ダ・ガマのファンにも関わらずに、私へのオマージュを送ってくれたあなたの兄弟にヨロシク。本当にアリガトウ。我々に写真を供給してくれる、Marcelo Caju、Ronaldo Tibaes Simoes、Fernando、Alex、Renato Henrique、Allan Gomes、Fabiano Faco、Diogo DuqueEstrada、Djalma Junior、Max Carvalho、Marcos MachadoとAndrea Caldasは、常にコメントを通じて参加してくれてアリガトウ。Jose Edivan dos Santos、如何なるトロフィーよりも価値のある素晴らしい言葉をアリガトウ。心温まるメッセージに何と言葉を返して良いかわからず、ただひたすら感謝するのみだ。 そして最後に、ジャーナリストHilton Matos著の本「Herois do Cimento」の表紙を紹介するよ。偉大なる著名なサポーター達を描いた本だ。  ……

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エウリッコ・カンポス氏、フェネルバフチェの8人目のブラジル人

[2007.02.13]

フェネルバフチェは今週、ロルフィングという米国の生理学者Ida Rolgが考案した整体マッサージ療法の先生であり、モラシー・サンタナの友人でもある、エウリッコ・カンポス氏との4ヶ月間の契約を締結した。彼はインテルナショナル、サンパウロFCやグァラニーなど多数のチームで仕事をした経験の持ち主でもある。  ロルフィング療法は、アスリートのフィジカル面でのパフォーマンス向上を目的として、マッサージやストレッチなどを駆使して整体をはかる技術に基づいている。エウリッコ・カンポス氏はAntalyaを訪れた際に、怪我をしている選手達の回復の手助けをしてもらう為に誘われたのだ。そしてこのロルフィング療法は怪我の予防にも役立つのである。 1993年からモラシー・サンタナと仕事を共にしているエウリッコ・カンポス氏は、イタリアに滞在していたのだが、エドゥーの誕生日だった月曜日から仕事を始めるために最終的にイスタンブールへと越して来た。彼は、ジーコ、エドゥー・コインブラ、モラシー・サンタナ、マルコ・アウレーリオ、ディヴィヂ、アレックスとエドゥー・ドラセーナに加えて、フェネルバフチェに在籍する8人目のブラジル人となる。……

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鈴木通訳と黒い車(リムジンカー)

[2007.02.12]

我々は世界各国の様々な場所を訪れて、何かしら目新しい発見をし何かを新たに学ぶ事が多いです。こちらトルコでも既にあらゆる映像のコレクションが私の脳裏に記憶されており、それらに関するエピソードも伴います。興味深いことに、私はサッカー監督として見られ、サポーターには敬われているのですが、遠く離れた東洋の地で営んでいた生活とは異なるのです。今回は、日本でのその特別な生活パターンはどんなものだったのかについて一つのストーリーを紹介します。 元サッカー選手の私は、鹿島アントラーズに在籍してサポーターの愛情を得ました。更に日本代表監督の座に就いた際には国民との親近感も深まりました。どんな場所を歩いても、人々はそれぞれの気持ちを写真撮影とサインを求めることで表現してくれたのです。 この関係の一例が、私が参加した講演、コマーシャル撮影や公式イベントでも表せます。日本では、正客はかの伝統的な「黒い車」であるリムジンカーで訪れる習慣があるのです。この様な事は普通だと言えます。でも、元より私は車の運転が大好きであり、普段はこの便宜を断ってマイカーで行くようにしていました。でも、私の友人であり通訳の鈴木は、お供をするも、常に「黒い車」は断らないように頼んでいたのです。 「ねぇ~ジーコ、何で敢えて渋滞と困難に直面して疲れる訳?黒い車を手放さないでよねー!」と、サン・クリストヴァォン(リオ・デ・ジャネイロ)の元住人でフラメンゴファンの、私が知り得る最もカリオカ的な日本人は、満面の笑みを浮かべて話すのでした。 勿論この快適さへの配慮の裏腹には、セレモニー会場へリムジンで到着時に警備陣は敬礼を尽くし、人々は敬意を示すという事実が存在し、鈴木通訳はこの状況に陶酔していたのです。彼は常にナイスガイで素朴な人物ではあったのですが、この母国民との関係が彼にとっての栄誉的且つ満足感の一時であり、それなりの楽しみに値したのでしょう。 私を先に送ってから、町中を自慢げに観光しながら、自宅まで誇らしげに送り届けてもらう鈴木通訳は、「ジーコ、疲れないでよ。車は運転手付きだから、自ら疲れる必要はないよ。」と、話すのでした。 この慣習は大変興味深いものです。何故なら、ブラジル又は何処へ行っても、私は己のことは全て自分でやるのが好きなのです。車の運転、空港での手続きなど、依然としてこのような特権を気にしたことなどありません。でも、親愛なる鈴木はこれら全てに楽しみを抱いており、多くを共にして私が日本を後にする感傷的な一時に、彼に一芝居見舞われたのです。寂しげな暗い表情をして、私に近づき抱きしめたのです。私は咄嗟に、今後も再来日と再会を果たすことを彼に伝えました。勿論、別れの雰囲気を和らげるためにです。すると彼は感動的に次のような発言をしたのです。 「そうだよね…、どうせまた会えるのは分かっているから、あなたが帰るのは別にどうってことはないよ。でもね、ジーコ、問題は今後黒い車や敬礼とおさらばすることなんだ。」 我々は爆笑しました。勿論、彼に伝えたとおり、最近彼が日本人新聞記者団に帯同してイスタンブールを訪れた際に再会を果たしました。そして、彼がブラジル流に発した一声が「サウダーデ…」だったのです。その言葉に私なりに応えようとしたその瞬間、彼独自のスタイルで、「…黒い車が懐かしいよ、ジーコ!あなたがいなくなってから二度とないよ。本当にサウダーデだよ!」と続けたのです。 そこで我々は再び大笑いをして、リムジンカーで訪れたイベントの数々を想起しました。別れの時に、更に私は一本取られる前に次のような質問をしたのです。「鈴木、お前は紛れも泣くリオ・デ・ジャネイロ出身でないことを確証できる?」 正に鈴木は、偉大なる人物であり、顕著な通訳である以前に、日本で長きに亘り私の影武者を務めた素晴らしいパートナーでもあるのです! ……

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フェネルがアウエーで Rizesporに敗れる

[2007.02.11]

トルコスーパーリーグの第20節、フェネルは Rizesporに 2-1.で敗れた。Os Canários saíram logo em desvantagem, ホームで戦う相手チームは前半6分に先制し、追加点を挙げ2-0となったあと途中出場のSemihが1点を返したがそのまま試合は終了した。  ジーコのコメント: 「試合立ち上がり早々に存在しなかったPKで害を被って、最終的に試合の結果に影響を及ぼしたのも事実だが、試合自体は決して良くなかった。実際に我々は内容的に良くない展開で、2失点目を喫してから更に困難となった。私は選手交代を行い、終盤で1得点を返すも、チーム全体のパフォーマンスが良くなかった。但し、こういう日もある。依然勝点差を有して首位をキープしており、この状況はつまづきつつも回復が可能であり、気持ちを切り替えて前進あるのみ。大事なのは、2試合続けてこのような試合は決して展開しないであろうと私はみており、UEFA カップへ向けて前向きな姿勢だと言うことだ。」 ……

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2007年02月07日(水)

[2007.02.10]

やぁ~。今週の月曜日に、今日に至り色々と学ばせてくれる親愛なる友人でもある、実兄エドゥーが60歳のバースディーを迎えたよ。今回彼は息子達と一緒に祝えなかったので、その不在を埋め合わせるべく、我々はケーキも準備して誕生会を開いたのだ。それでは早速写真へと行こう!下の写真はパーティーに参加した人達だ。左から、Dayaniと主人Moraci、主賓のエドゥー、私、サンドラ、フェネルバフチェで最もニューフェイスのブラジル人でMoraciの友人Euricoと、通訳のSamet。 主賓のエドゥーへ乾杯。 ケーキと恒例の「ハッピーバースディー・トゥ・ユー…」。 私と主賓のエドゥー。 そして、最後にエドゥ-が撮った写真を2枚紹介。先ず1枚目は、練習中断を強いられた大雪の日の風景。 下記は彼のアーティスティックな作品集の一枚。Grand Bazaarにて次男Brunoと妻のDanúbia、そしてサンドラ。 それでは、また後程! ……

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イタリアとサッカー界に蔓延するバイオレンス

[2007.02.08]

今回はフェネルバフチェが金曜日に試合をしたことで、先週末は欧州サッカーを、テレビ放映を通じてより良く見守ることが出来ました。そして、正に我らがこちらで勝利した日に、イタリア・サッカーは再なる悲劇を目の当たりにしたのです。カターニャ対パレルモ戦の最中にサポーター同士の乱闘が発生して、警察官1名死亡の結末を迎え、街頭が戦場状態へと発展したのです。大会は一時中断を強いられ、警察官の葬式の模様は国民に強い衝撃を与えました。このイタリアでの惨事に関する詳説を目にして、私はブラジル国内でのバイオレンスを連想させられ、この内容を今回のヨーロッパ・コネクションのテーマに選んだのです。 先ず、試合というイベント自体に潜り込む一部の無法者が原因で、罰せられる真のスポーツ愛好者への敬意を表して、更には、今日のサッカーは観客を入れずに試合を開催することでビジネスに損害を与える事実もあり、私は常に入場者無しの無観客での試合には反対なのです。でも、このような出来事はブラジルや欧州で頻繁に起こっており、更にはワールドカップ予選での決定的な試合でも私が日本代表監督時代に同様な状況に直面せざるを得ませんでした。即ち、これらは異例な事件では決してありません。 この件を語るためのキーワードは、正に「予防」と「教育」だと言えます。徒党を識別する監視カメラや、特に乱闘者への罰則とサポーターの教育など、スタジアムの安全対策への莫大な投資によって、イギリスは巻き返しを図ったのです。今日では、イギリスのスタジアムは満員状態で、サッカー界に巨額な富をもたらし、試合観戦は楽しさを与えてくれます。フーリガンへの警戒は永久的であり、支払う代償は高くとも、他に対応策はありません。更に、ドイツ並びにスペインもイギリス同様の道を歩んでおり、この3カ国の大会が、今日では最もテレビ観戦が見応えがあると言えます。 イタリアとブラジルを2例に挙げるならば、閑古鳥が鳴くスタジアムでの全国規模の大会がテレビ放映される光景を目の当たりにする事実は、決して偶然の賜物ではありません。バイオレンスは実際に応援を目的としたサポーターの足を遠ざけてしまいます。最近ワールドカップを制したばかりのイタリアは、国内でのいかさまゲームへ対するしかるべき対処方法を見出せませんでした。ユベントスは罰せられ、他のチームも同様な処置を受けたのですが、法の裁きに重みが欠けていたのです。不正行為が最終的には安くつき、このような状況が起こり得るとサポーターも感じ取るのです。 そしてブラジルでは、先週末にクルゼイロのサポーターが警察官との一戦で恥ずべきシーンの主役を演じた出来事を読みました。今回の主人公はミナス・ジェライス州のチームでしたが、サンパウロ州やリオ・デ・ジャネイロ州のチームでも起こり得たのです。残念ながら現実は、教育へのアクセスの欠如で苛まされ、不平等をルール化されている社会ではあるのですが、ヨーロッパで見られるような暴動は更に最悪な輪郭を形成するのです。 でも、イタリアのケースに関しては、安全対策及びサポーターへの教育に投資が行われない事実は、承認できないのではないかと思います。サッカーは莫大な金額を動かして、更にはイタリアの大会は世界中へ放映権が売られているのです。カターニアの会長がテレビで、勃発した一連の出来事を考えると、クラブを後にしたいと発言した光景を興味深くも嘆かわしく感じました。更には、インテルの監督であるマンチーニ氏は、イギリスで仕事をした方が増しだと語っていたのです。数年前まではサポーター同士によるバイオレンスのシンボルとされていたイギリスにとっては、運命の悪戯とも言うべきでしょう。そして、この現状が現世界チャンピオンのサッカーなのです! こちらトルコでも何年か前に似通った事件が数多く発生しました。現在でも衝突は起こりますが、その際にはチームは罰せられて、あくまでも私は反対意見である、ホーム開催禁止及び無観客試合を命じられますが、近年では喧嘩好きの活動を大幅に妨害すべく、スタジアムの近代化と安全対策へのプロセスが進められました。実際にクラブ勢は、投資によってこの平和をもたらすべく闘いに挑まなければなりません。全ての国に於いて、この問題は公権力の範疇だとは思いますが、市民及び組織をも巻き込む事柄には相違ないのです。正に全員が手を合わせて平和へ向けての改善運動に取り組まなければいけません。 と云うことで、ウン・グランデ・アブラーソ!それでは皆さん、また来週! ……

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ジーコの「勝利の法則」

[2007.02.07]

ジーコ著 小学館 1200円 1995年10月10日発行  ≫購入はこちらから週刊ポスト、1994年10月21日号から1995年6月2日号まで掲載されたコラムに大幅に加筆されたもの。現役を引退しブラジルでジーコサッカーセンターを設立し子供達にサッカーの出来る環境を与え始めた時期に出版された。自分のサッカーで人より優れた点は「方向感覚」である事や、選手生活を続ける上で必要だった犠牲について、また選手として大きな武器となったフリーキックについて語られています。選手生活を通して「挫折が人を育てる」と挫折を味わった出来事から立ち直った経緯も書かれています。そしてアマチュアだった住友金属が鹿島アントラーズになって優勝するまで、鹿島がプロのチームになるために変えていった事のエピソードが紹介されている。選手の意識だけではなく、フロントの意識改革も行なわれた。また、家族との思い出の中で、自分より先にプロ選手となったゼッカ・エドウーの影響を受けたこと、家族から学んだ事もとても多かったと書かれている。目次 第1章 夢があったから今の私がある第2章 「犠牲」なくして成功はない第3章 挫折が人を育てる第4章 細心の注意こそプロの必須条件第5章 「厳しい注文」が人を伸ばす第6章 人生の師は両親と兄だった第7章 子供にお金を残すべきでない第8章 日本人はもっと反論せよ第9章 『マリーシア』を身に付けろ第10章 ジーコが戦ったワールドカップ ……

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フェネルがGenclerbirligiにスーパリーグでも同じスコアで勝利!

[2007.02.06]

再開されたトルコ・スーパーリーグ、フェネルはまたもGenclerbirligi に アウエーで2-1で勝利した。得点は Tuncay (9分) e Aurelio (57分). 1週間で2回同じ相手からの勝利となった。前の試合はトルコ杯の準々決勝。そしてスコアも同じだった。今節の結果、フェネルは2位 Galatasarayが引き分けた為、勝ち点差を7に戻した。 ジーコのコメント:「立ち上がりから我々に困難を強いるべく挑んできた敵との厳しい試合だったが、それでもいい形でチャンスを幾度と無く作ることが出来た。先制点を決めるも、敵に同点弾を決められる展開となった。最終的に、我々の2得点は共に素晴らしいゴールだった。でも、重要なのは勝利することが出来て、他チームの結果に頼らずに、我々はトルコリーグで大きなアドバンテージを得られたことだ。」 ……

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ジーコ・サッカーセンターが創立12周年を祝う

[2007.02.04]

リオ・デ・ジャネイロ市の誕生日に当たる01月20日は、ジーコ・サッカーセンターにとっても特別な日と言える。偶然ではなく、この日はジーコが1995年に創始したクラブの創立日なのだ。1980年半ばから、ジーコは青少年を対象としたサッカーセンターの開校の夢を抱いていたのである。しかしながら、選手としての日々の活動がその実行を妨げており、現役引退後のプロジェクトとして温められていたのだ。そして、建設への着工は1993年にヘクレイオ・ドス・バンデイランテスの土地から始まった。そこに、ジーコ・サッカーセンターの練習場と本拠地が建設されたのである。 「初めのグランド2面は彼の時代では最先端の技術が導入されており、今日でもそのクォリティーは瞭然です。我々はほぼ何も存在しない地域に、湿原地帯を発見したのです。現在クラブ周辺に見受けられる殆どの建造物が、ジーコのイニシアチブによるあの建設困難な場所への着手後に、出現したのです。」と、ジーコ・サッカーセンター建設プロジェクトの発案時からの責任者であった建築家及び造園デザイナーのフェルナンド・マリンニョ氏は語る。 後ほど、ジーコ・サッカーセンターは隣接した土地を購入し、拡大された場所にアントゥーネス・スタジアムが建設されたのである。でも、拡大以前の1995年に歴史的且つ感動的なイベント「Encontro de Todas As Copas(全ワールドカップの集い)」の舞台となったのだ。ジーコのアイデアは1994年までの全てのワールドカップでブラジルを代表した歴代の選手達を一堂に会してオマージュを捧げることだったのである。イベント組織員の一人でもあった、弁護士でジーコの共同経営者でもある、アントニオ・シモェンス・ダ・コスタ氏は誇りげに任務を語る。 「中には忘れ去られていた選手も含めて、歴代の選手達が集う光景を観られるのは感動的でした。既にこの世を去った選手は親族を探し出して、祭典はグランドが名選手で溢れて、とても華麗でした。あのイベントはジーコ・サッカーセンターの記念すべき日であり、「Encontro de Todas As Copas(全ワールドカップの集い)」に携わった我々全員にとっても特別な瞬間でした。」と、シモェンス氏は語る。 サイトスタッフは「Encontro de Todas As Copas(全ワールドカップの集い)」に関する貴重な資料を手に入れることが出来た。約56分間に亘る祭典の未公表映像だ。 そして、2007年はジーコ・サッカーセンターにとって新たなる期待の一年でもある。ガリンニョ(ジーコ)の次男ブルーノ・コインブラがジーコ・サッカーセンターを指揮し、既に近々大事なパートナーシップが結ばれる予定も存在しているのだ。但し、現時点ではまだ交渉中の段階にある。でも、一年がようやくスタートを切ったばかりで、今年もジーコ・サッカーセンターにとって特別な年になることを期待する! ……

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フェネルバフチェが又してもGençlerbirligiと今度はトルコリーグで対戦

[2007.02.03]

フェネルバフチェの連戦は再開した。トルコ杯の準々決勝でGençlerbirligi を2-1で下した、その二日後に又してもライバルと今週の金曜日に今度はトルコリーグで対戦する。ホームゲームにも関わらず、3試合目となる処罰に服して、フェネルバフチェはIzmirの町で試合を行うが、観客は動員する。 Izmirはトルコ全土で最もフェネルバフチェのファンが集中している町の一つでもあることから、クラブ役員が選んだのだ。チームの歓迎からもその様子は伺えた。フェネルバフチェの公式サイトから提供してもらった写真からも確認できるように、チームは1日に盛大な歓迎で受け入れられた。 ……

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ボーア・ソルテ!プラティニー!

[2007.02.02]

先週の金曜日、Michel Platini(ミッシェル・プラティニー)氏がUEFA(欧州サッカー連盟)の新会長に当選したニュースを私は大変喜ばしく受けました。27票対23票での勝利は、欧州サッカー界の最高ポストに元サッカー選手を就けたのです。サッカー選手がスポーツ界の主要ポストに就任できるように準備をすべき重要性に関して、本サイトで取り上げるのは昨今始まったことではありません。ミッシェル・プラティニーはその地位にまで上り詰めたのです。そして、この事柄が今週のヨーロッパ・コネクションのテーマでもあります。 Lennart Johansson(レナート・ヨハンソン)氏がUEFAで有能な仕事をしていたのは、あくまでも事実です。各大会ともに拮抗したハイレベルであり、欧州サッカーは常に発展の道を辿っております。私の唯一の批判は欧州チャンピオンズリーグ及びUEFAカップの膨張化と、欧州チャンピオンズリーグ敗退チームのUEFAカップへの参戦に関してなのです。この件に関してはミッシェル・プラティニーに会う機会があれば話をするつもりです。 厳密に言うならば前任が手腕を振るったからこそ、彼の勝利は価値を得るのです。私はミッシェル・プラティニーが26日の選挙へ辿り着くまでの一部道程を見守る機会に遭遇しました。彼はフランス代表の監督として指揮を執り、1998年フランス・ワールドカップ組織委員会の会長を務めて、近年はFIFA(国際サッカー連盟)の裏方として献身していました。 リオ・デ・ジャネイロで2000年に開催された世界クラブ選手権で、彼と色々と話す機会に出くわしたことを想起します。お互い常にライバル同士ではありましたが、選手としての現役時代から彼とは友情の絆で結ばれており、この関係は引退後も継続しているのです。彼のリオ・デ・ジャネイロ訪問時には、私は組織委員会のチームで、そしてプラティニーはVoller(フェラー)と共にFIFAのチームでプレーをしながら、一戦交えました。更に、我々には共通の友人もおり、私の自宅に彼をディナーにも招きました。色々と意見交換をして、プラティニーがサッカー界での主要ポストに就くべく準備をしていることを明白に感じることができたのです。 彼のUEFA(欧州サッカー連盟)での当選は記念すべき歴史的な瞬間であり、ブラジルの元選手仲間への模範と成り得るでしょう。連盟や協会のポストに辿り着くためにはしっかりとした準備と適切な教養が基本だと言えます。私見ではありますが、四角いピッチ内で活動していた、現実を知っている人物がこれらのポストに就任することが、如何に重要であるか主張します。でも、その為には立派な教養と統治能力が必要でもあります。 サッカー選手に対する評価が比較的にされがちの、特にこちら欧州で、今後もこのようなケースを見受けられることだと私は信じております。 フランスのサッカー史が誇る偉大なる選手の一人であるミッシェル・プラティニーが、任務を帯びるべく頂点を極めたのは、決して知名度によるものではなく、正に功績だと確信しております。ある人物が監督の資格を得る前に下部組織で研修をするように、プラティニーもUEFAへ辿り着くまでに、学びながら一段一段とステップアップする謙虚さを持っていたのです。 私も元選手として彼を誇りに感じると同時に、共通のアイディアの持ち主であることに嬉しくなります。彼は元より「jogado(巧み,巧妙)」なサッカーの熱烈な支持者であり、スライディングなどの撲滅に関しての推進者の彼は、紛れも無くスペクタクルな試合の展開に奮闘するでしょう。成功を収める要素は揃っています。私は祝辞を贈ると同時に、彼がピッチ上で魅せたカテゴリー同様にスポーツ界に献身して、更なる向上を図れることを応援しているのです。ボーア・ソルテ、プラティニー! と云うことで、また来週! それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ! ……

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2007年01月29日(月)

[2007.02.01]

ハ~イ。パソコンの修理ができ、年末のリオ・デ・ジャネイロでの写真を回復することができたよ。下記に、その時の写真6を枚紹介だ。 下記はJuventude(ジュヴェントゥーデ)のペラーダ(草サッカー)。右隣には実兄Nandoで、逆側はFarahだ。そして、手にしているのはワールドカップの時期にQuintino(キンチーノ地区)の日本サポーターが使用した2タイプのTシャツモデル。 ペラーダ(草サッカー)の前に、友人セルジオ・サッポとの撮影。 下記は、ジーコ・サッカーセンターで開催された「Jogo das Estrelas(スターゲーム)」をスポンサードしてくれた企業「Bradesco Vida e Previdência」の皆さんだ。彼らは、センターで親睦を深めるためのシュッハスコ(ブラジル風バーベキュー)を行ったのである。私の左側でフラメンゴのユニフォームを握っているのは企業の社長である、Marco Antonio Rossだ。 以下は、ジーコ・サッカーセンターでは恒例のアルマンドの連中によるペラーダの光景。 私の息子ブルーノとペドロ・シリーロのツーショット。 そして最後に、クラウディオ・アダァオンの息子であるフェリッペ・アダァオンと実息チアーゴとのショット。 それでは、また後程!……

in [ダイアリー]

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