[2007.01.31]
雪片からから始まり、雪は勢いを徐々に増し…、ジーコはSamandiraトレーニングセンターで行われていた練習のストップを余儀なくされたのである。市外から最も離れた郊外に位置することもあり、トレーニングセンターはイスタンブール市でも伝統的に最も寒い地域の一つでもあるのだが、今回は、エドゥーの写真とジーコの発言からも判るように、低気温とは程遠い現状だったのである。
「可能な限り練習を続けました。でも、ある時点から、雪が選手達の視界を妨げるようになり、グランドは雪が積もって真っ白になったのです。結局、中止を余儀なくされました。」と、ジーコは話した。
厳しい冬季には、フェネルバフチェは練習をSamandiraトレーニングセンターから、スタジアム近隣に位置する、市外であるKadikoy地域の下部組織のトレーニングセンターへと移動する習慣もある程だ。
……
in [ニュース]

[2007.01.30]
26日に開催されたトルコリーグセカンドステージ開幕戦で、フェネルバフチェはアゥエイで Kayseri Erciyessporと戦い、1-1で引き分けた。トルコカップ準々決勝出場権獲得でモチベーションの高いホーム・チームは大々的なチケットキャンペーンを行って、スタジアムを埋め尽くした。そして、アレックスがフェネルバフチェの唯一且つ素晴らしいゴールを後半38分に決めた。今回ジーコはCanários Amarelos(フェネルバフチェのチーム愛称)の編成に大変てこずったのだ。主要選手である、Lugano、 Onder、Kezman選手が怪我により離脱、そしてサブのディフェンダーCan選手の出場停止などで、ガリンニョ(ジーコ)はディフェンスに緊急対応を強いられ、更にベンチ要員を僅かに4選手で戦わざるを得なかったのだ。彼は試合を分析して、「長期大会ではこの様な状況に耐え忍ぶ必要があり」、選手層の薄さをこぼしても仕方がないことを主張した。 ジーコのコメント:「我々は決して内容の良くない展開を前半を繰り広げて失点を許してしまい、敵は最近の好結果に動機付けられて更に勢いがありました。でも、後半には効を喫した2名の選手交代を行い、試合の主導権を得ることが出来たのです。決定的なチャンスを逃すも、同点弾を決めることが出来、勝機はあったにも関わらずに、終盤戦での展開を考慮すれば不満はありません。重要なのは勝ち点1を得て会場を後にすることが出来たことであり、依然として余裕を持って首位を守っており、継続する大会に向けて準備をする必要があります。これからも道程は険しいのです。」と分析をした。27日には、予定されているトルコリーグ全34節中の18節目となる、後期第1節が2試合行われた。1試合目は、Sivassporがアゥエイで戦い、 Gençlerbirligiを1-0で下した。でも、フェネルバフチェにとって主要な一戦では、GalatasarayがAnkarasporを2-0で敗ったのである。そして、その得点を決めたのがSukurとSabriだ。この結果で、首位フェネルバフチェと2位ガラタサライーとの勝点差は5(38-33)へと落ちた。……
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[2007.01.29]
先週の、主なワールドワイドなニュースはディビット・ベッカム選手のレアル・マドリッドからロスアンゼルス・ギャラクシーへの移籍に関するものでした。こちらトルコでも、私はインターネットを通じてこの情報及び意見に対して見守りました。この取引で動く金額を考慮すれば注意を引くのですが、アメリカ合衆国がサッカーに注目し始めて、似通ったムーブメントに取り組んだ、1970年代中旬を、私は想起させられました。そして、この話題が今週のヨーロッパ・コネクションのテーマでもあります。
先ずは時間を遡りましょう。1970年代は、サッカー史上で最強チームの一つとも称される、ブラジル代表チームのワールドカップでの3回目の優勝からスタートしました。私がフラメンゴのジュヴェニール(U-18)チームでプレーしている頃に、アメリカ合衆国はサッカー・スポーツに於いての時間のロスを取り戻すべく試みをしていたのです。野球、アメリカン・フットボール、バスケット・ボール、ホッケー…など、これら全ての団体競技は既に確立されており、ほぼプロフェッショナルな競技でした。でも、アメリカでは一般的に「サッカー」と称される競技は、無名に近く、権威もありませんでした。そして、ニューヨーク・コスモスの出現のシナリオはここにあったのです。
1970年代中旬以降、アメリカ合衆国のクラブは単純に我々の3回目の優勝者であるペレーとカルロス・アルベルト・トーヘス選手、及び、他国の名選手であったベッケンバウアー、Chinagliaとニースケンスを手に入れたのです。プロジェクトは大胆であり、目標は国内でサッカーをポピュラー化させるという大変明確なものでした。彼ら強豪を有することで、このスポーツの飛躍に対しては疑問の余地すら持ちませんでした。ここで、興味深い些細な点は、最近私自身が解明したことですが、ニューヨーク・コスモスはイスタンブール出身の、レコード会社のオーナーである、Nesuhi ErtegünとAhmet Ertegünのトルコ人事業家兄弟の提案により設立された事実です。彼らはワーナー・ブラザースのオーナーにサッカーチームの設立を説得したのです。
当時、名選手のニューヨーク・コスモスへの移籍は、アメリカ合衆国に於いてサッカーへの注目度を高めました。チームが解散した1984年迄は、スターチームは成功を収めたのです。そして私は、1980年代にペレー選手は既に不在でしたが、ベッケンバウアー率いる軍団と、2度に亘り彼らと対戦しました。マラカナン・スタジアムでは4対1で勝利し、ニューヨークでのカルロス・アルベルト・トーヘス選手の引退試合では3対3で引き分けたのです。
何らためらいもなく、それ以降サッカー・スポーツが発展を遂げたことは断言できます。10年後、1994年のFIFAワールドカップでは既に競争力の高いアメリカ合衆国代表を見受けることができ、国家がワールドカップに対して多少なる興味を示し始めました。国内的には、サッカー実践に対するはずみとしては大変意義があり、女性陣は男性とのサッカーへの好感を分かち合うようになったのです。アメリカ合衆国サッカー女子代表が世界の強豪と成ったのは昨今ではありません。
この現実にも関わらずに、かの地でのサッカーリーグは依然として強豪ではなく、参戦チームは競争力に欠けていることからも、ビッグネームは在籍しておりません。私見ですが、あくまでも一説を言いますと、存続したニューヨーク・コスモスの14年間に於いての外国人籍選手への投資は素晴らしくも、選手育成への賭けに欠けていたのです。この期間、チームでのアメリカ人選手は僅か2名に止まったのです!
そして、新たなる飛躍を目的としてロスアンゼルス・ギャラクシーはディビット・ベッカムを獲得するのです。このアメリカ合衆国の試みであるサッカー発展へ対して、他の名選手へインスピレーションを与える使命を負って、スターのステータスの下に移籍をするのです。そして、アメリカ合衆国がンターティメントをビッグ・ビジネスへと化すべく決断を下せば、このイニシェイチブに対しては誰しも疑問を抱かずに結果を予測出来るのではないでしょうか。
と云うことで、ウン・グランデ・アブラーソ!
それでは皆さん、また来週!
……
in [ジーコの主張]

[2007.01.26]
20日に予選リーグが終了したトルコ杯は22日に準々決勝トーナメントの抽選会を行った。 フェネルは Gençlerbirligiと今月 30日と2月 28日にホームアンドアウエーで戦う。最初の試合がフェネルのホームである。
その他の3試合は1月30日と2月28日に行われる。対戦カードは以下の通りである。Kayseri Erciyesspor x GalatasarayTrabzonspor x GaziantepsporBesiktas x VESTEL Manisa
……
in [ニュース]

[2007.01.26]
やぁ~。Antalyaでの充実した準備期間を経て、こちらではトルコリーグの後期がスタートする。でも、話がそれる前に、次回の世界紀行の前触れだよ。ヒントがあると、当てやすいだろう…。
合宿期間中にオランダのDenhaagと対戦して、もう長い期間オランダでプレーしているブラジル人のDininho選手に会ったよ。
テレビ・フェネルバフチェへのインタビュー。隣は通訳のSahmetだ。
下記は既にイスタンブールにて、Olímpicoスタジアムで大勝したトルコ・カップ戦での得点を祝うブルーノの姿をフェネルバフチェのカメラマンが捕らえた映像だ。隣に座っているのは彼の妻Danúbiaと左端は私の妻サンドラだよ。
最後に、ブラジルでの短かったオフの写真だ。先ずは、ほぼ恒例となったRedação Sportvへの出演で、私の長男ジューニオル、マルセーロ・バッヘト、セルジオ・ローボ、ホベルト・アッサフィとのショット。
アングラ・ドス・ヘイスにて、重要且つ忙しい一年へ向けてバッテリーを充電中。 ボートにてクルージング。左から、ペードロ・シリーロ、私、ドゥドゥー、チアーゴとエドゥー。座っているのはフェルナンドとマギーラだ。 それでは、また後程!
……
in [ダイアリー]

[2007.01.26]
フェネルは20日、トルコ杯のグループリーグ最終戦をIstambul BBとアウエーで戦った。5-0で勝利しグループCの予選リーグを全勝で終え1位で通過する事となった。
また Gaziantepsporは Sivassporに 1-0で勝利し9ポイントで2位となりこちらも準々決勝に進出した。
ジーコのコメント:
楽な試合ではあったが、チームが終始真剣にプレーに取り組んだことが重要だったと感じた。前半に3点決め、更に後半に2点を追加したことで安心なゲーム展開となった。残念なのは後半でのCANの退場である。LUGANOが負傷中につき、トルコリーグ後期開幕戦では他ポジションの選手起用を強いられる可能性が高い。でも、グループに自信を与える手伝いととなる効内容の試合だった。……
in [ニュース]

[2007.01.23]
ジューニオル・コインブラとアラン・エスピノーザのEagle M&E社のスタッフと直接このイベントに携わったジーコ・サッカーセンターのスタッフからなる第3回スターゲームの主催者メンバーは、先週チケットと引き換えに集まった約6トンの食料品を、選ばれた10箇所の施設へ配布した。 食料品の運搬にはジーコ・サッカーセンターの全職員が参加して、クラブの車両が立ち寄った施設では思いやりの精神をあらわにした。このイベントが始まって以来、今回初めてジーコは、トルコのフェネルバフチェでの仕事の都合上、食料品の配布に参加出来なかった。でも、配布した主催者メンバーがジーコから託されたメッセージを施設責任者へ伝えたのである。「リオに滞在して、過去2年間行ったように今回も参加出来ればと願っていました。何故なら、食料品を受け取る皆さんの喜びが、我々の努力が報われる時であり、正に素晴らしい一瞬だからです。残念ながら今年は無理でしたが、他の皆さんが代役を果たしてくれたと確信しており、更に我々が昨年よりも多くの施設を支援できたことを嬉しく感じております。」と、ジーコは本サイトに語った。
施設選びは、展開されている活動能力の把握を条件として、ジーコに関係する皆さんやクラブの職員たちからの推薦の下に行われた。最終的なリストと配布工程は、ジーコ・サッカーセンターの職員であり、3年連続してこの任務を適切に果たした、ゼー・マットス氏が担当をした。
「ジーコが今年度は10施設に食料品を届けたいとの希望だったので、ジューニオルとアラン、そしてイベントに携わった全員で、立派な活動をしている施設の推薦を求めました。訪れた全ての施設で大変温かく迎えられて、各施設に約500キロの食料品を配布しました。」と、ゼー・マットスは語った。
下記が、その施設一覧表である。
1- Associação Cultural Capoeira Ginga Brasil (Cidade de Deus)2- Centro Espírita Maria Angélica (Recreio)3- Congregação Mariana do Hospital Colônia de Curupaiti (Creche dos filhos de portadores de hanseníase)4- Casa Maternal Melo Matos (Jardim Botânico)5- Instituto Nacional do Câncer (setor infantil)6- Obra Social Dona Meca (Taquara)7- Obra Social Antonio de Aquino (Mallet)8- Centro de Estudos Espíritas Allan Kardec (Quintino)9- Abrigo Minha Casa (Campo Grande)10- Hospital Mario Kroeff (Penha Circular)
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in [ニュース]

[2007.01.22]
フェネルのサイトはSamandira.のトレーニンググランドに訪ねてきた、ジーコの次男であり、昨年末に結婚式を挙げたばかで新婚であるブルーノとDanúbiaの事を取り上げた。二人はヨーロッパを旅しており、父でもあるジーコのいイスタンブールに立ち寄った。
ブルーノ・コインブラはテレマーケテングの大きな会社にいるが、現在新しい計画の立てている。リオに戻ったらジーコセンターで1995年から行っているスクール部門を担当し発展させていくように準備中である。……
in [ニュース]

[2007.01.21]
ブラジルのテレビ局TV Educativa/ Rede Brasilのスポーツ番組で先週ジーコの甥でエドウーの息子であるドゥドゥ・コインブラがCFZの新しい監督に就任し2007のリオ州選手権を戦う事が報じられた。ドゥドゥは自身の考えている新しい計画・哲学を明らかにした。 「何年もの間戦ってきたが、リオ州の1部に昇格する事が出来ないでいる。しかしながら、多くの人には知られていないが良い選手は育ってきており選手はプロに送り出せている。新しくジーコの息子であるジュニオールが入り、スクール部門も含めクラブを改革しようとしている。我々は1部昇格はもちろんの事、良い選手を生み出して行きたい。 短期的にはブラジルカップに出れるためにもリオカップで良い成績を出して行きたい」と昨年までジュニオールを指揮していたドゥドゥはコメントした。……
in [ニュース]

[2007.01.20]
先週のヨーロッパ・コネクションでは、私にとっての過ぎ去りし年の手短な総括を行いました。今週の私の焦点はブラジルサッカーに対してです。チャンピオン、そして辿るべく素晴らしい模範や重要な制覇に関してなのです。2003年から私の本サイトをアクセスする皆さんは、毎年このテーマを本コラムで取り上げていることは承知していることだと思います。そして、正しくその時が訪れました。
2006年の偉大なるチャンピオンがインテルナショナルだったことに関しては疑いの余地すら存在しません。クラブは一時危機に立たされて、国内で競争力を失う程に立場を危ぶまれ、地元リオ・グランデ・ド・スール州に於いても肩身の狭い状況に陥りながらも、あらゆる困難な時期を乗り越えて立ち直ったのです。正に有能な運営、能力溢れる経営陣の手腕がクラブの方向性を変えたのです。計画性の成果でもあり、更にアベーオ・ブラーガ監督のようなプロフェッショナル陣営による真剣なる献身は自ずとタイトルをもたらします。インテルナショナルはこのような道程を経て、最高峰である、FIFAクラブワールドカップの頂点を極めたのです。
多くが気付かずに見過ごすかも知れない重要な点は、インテルナショナルはタイトル奪取と共に、チームは改革が図られたことです。競争力の強いチームとしてのみではなく、クラブは育成面でも良い仕事をしているのです。メディアで最も取り上げられている例がアレシャンドレ・パット選手ですが、きっとインテルナショナルには有望な選手が他にも数多く出現しつつあり、今後頭角を現すことでしょう。過去の栄光のみに縋り付くだけではなく、「ビッグ」を目指すクラブであれば、辿るべき模範的な一例であり、クラブ首脳陣及び関係者の皆さんには祝辞を送ります。
模範と言えば、サンパウロFCも例に挙げない訳にはいきません。インテルナショナルが使用したクラブ戦略をサンパウロのチームが用いるのは昨今始まったことではありません。そして、2005年の12月に本コラムで私がチャンピオン勢の総括を行った際に、サンパウロFCがFIFAクラブワールドカップを制した事実を取り上げました。正に明白なる偉大な2006年度のブラジル全国選手権チャンピオンであり、今尚、サンパウロFCは重要な戦力を失ったにも関わらず、しっかりとした計画性の下に、今後もチームの競争力は維持されるのではないかと確信しております。
そして、もう一つの国内主要大会であるコッパ・ド・ブラジルはフラメンゴが制覇しました。この件に関しての私の発言が度々歪曲されましたが、でも実際には幾ら熱狂的なファンであっても、コッパ・ド・ブラジルと言う近道が全て上手く行っているかのような錯覚を抱かせることが可能だという事実は否認できません。この種の大会を戦うための処方は別なのです。上記で述べたようなクラブ戦略は多々必要とせず、決定的な場面での底力のみが必要とされます。そして、フラメンゴはこの要素を持ち、功績による優勝を果たして、リベルタドーレス杯への出場権を手に入れました。依然として応援をし、リベルタドーレス杯では要求される、強いチームを編成してくれることを期待するのです。
既に、ブラジル全国で2007年度の州大会が開幕しつつありますが、過ぎ去りし年のチャンピオン勢を思い起こして、賛辞を送ることは常に気持ちが良いものです。記載漏れが無いように気を付けて、全チームを紹介します。Guiomard(アクレ州)、Coruripe(アラゴアス州)、São José(アマパー州)、São Raimundo(アマゾナス州)、Colo Colo(バイーア州)、Ceará(セアラー州)、Brasiliense(首都ブラジリア)、Vitória(エスピーリト・サント州)、Goiás(ゴイアス州)、Moto Club(マラニャオン州)、Operário(マット・グロッソ州)、Atlético Coxim(マット・グロッソ・ド・スール州)、Cruzeiro(ミナス・ジェライス州)、Paysandu(パラー州)、Treze(パライーバ州)、Paraná(パラナー州)、Sport(ペルナンブッコ州)、Parnahyba(ピアウイー州)、Botafogo(リオ・デ・ジャネイロ州)、Baraúnas(リオ・グランデ・ド・ノルテ州)、Grêmio(リオ・グランデ・ド・スール州)、Ji-Paraná(ホンドニア州)、Baré(ホライマ州)、Figueirense(サンタ・カタリーナ州)、Santos(サンパウロ州)、Pirambu(セルジッペ州)、Araguaína(トカンチンス州)。
全てのチャンピオンチーム及び、日本のJ1とJ2を制覇した浦和レッズと横浜FCにも心からおめでとうございます。更にJ2では、昇格を決めた柏レイソル及び入れ替え戦を制したヴィッセル神戸の名前も際立たせる必要があります。
以上が、チャンピオン勢と模範的な例です。今は全員が闘争力を持って、各地で感動的な大会が展開され、更に今回名を連ね損ねた皆さんには教訓が活かされることを期待しています!
と云うことで、また来週!
それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!
……
in [ジーコの主張]

[2007.01.19]
Mesmo jogando com muitos desfalques, o Fenerbahçe encerrou a fase de treinos em Antalyaでトレーニングしているフェネルバフチェは現地でのAntalyaカップに参加し優勝トロフィーを獲得する事が出来た。決勝戦、ジーコの指揮するチームは0-0の引き分けからPK戦となり ドイツのEnergy Cottbusに4-3で勝利した。PKを決めたのは Yozgatlı, Tuncay, Edu e Deivid.
13日に行われた3位決定戦ではオランダのDenhaagがロシアのDinamo Tbilisiに2 - 1で勝利した。 ジーコのコメント:「とても良い結果だった。チームは守備的に試合を進めてきた相手に対し素晴らしい内容で多くのチャンスを作り出した。彼らは我々が許さなかったチャンスを待っていた。後半我々は攻撃的にプレッシャーをかけたがゴールはならず、PK戦となった。年の初めに勝利とタイトルを獲得できた事は大きい。この調子で100周年を迎え3つの大会を控えているチームの起爆剤となれば良いと思う。」Fenerbahce 0 (4) x (3) 0 Energy Cottbusスタジアム: Antalya AtatürkFENERBAHÇE: Volkan, Serkan, Edu, Can, Ugur Boral, Appiah, Aurélio (Mehmet Yozgatli), Deniz, Tuncay, Tumer (Semih), Deivid.COTTBUS: Tremmel, Mckenna, Kukielka (Bandrowski), Rost, Kioyo, Szelesi, Munteanu (Shao), Mitreski, Gunkel (Kuntzel), Cvitanovic (Ziebig), Radu (Baumgart).
……
in [ニュース]

[2007.01.18]
Antalyaカップで12日にフェネルが 4-1 でオランダのDenhaagに勝利した。この試合はAntalyasporのスタジアムで行われた。
ゴールはTümer (20分), Edu (33分と38分)の2得点、 Semih (87分)
この結果、フェネルは14日にドイツのEnergy Cottbusとタイトルをかけて戦う。
フェネルは現在Antalyaでスーパーリーグ再開とUEFAカップ、トルコ杯の準備にミニキャンプを行っている。
ジーコのコメント:厳しい試合になると予想していた。Alex, Kezman, Luganoと Onderらの欠場もありチーム編成が困難であったがこの内容で勝つ事が出来た。前半PKのチャンスを生かせず、後半も更に決定的チャンスが2回あった。次の試合は14名の外国籍選手の所属しているドイツのチームとの試合である。
……
in [ニュース]

[2007.01.17]
11日に再開するリーグ戦に向けてトレーニングしているフェネルも参加するAntalyaカップの初戦が行われた。 この大会はAntalyasporのスタジアムで行われ、ドイツの Energy Cottbusが 3 -1 でロシアの Dínamo Tbilisiに勝利した。
勝利した Energy Cottbusは12日に行われるフェネルとオランダのDenhaag との試合の勝利チームと決勝戦を14日に行う。
……
in [ニュース]

[2007.01.16]
9日にジーコはアンタイヤでマルジンスポルとの練習試合にフェネルの指揮を取った。相手チームはトルコの2部リーグに属する。試合は2-2の引分けに終わり、得点は2点ともセミーヒが決めた。
フェネルはアンタイヤでフィジカル中心の練習を繰り返しているが、それは今シーズンの続きを強化するためのもの。UEFA杯、スーパーリーグにトルコ・杯が待っている。
……
in [ニュース]

[2007.01.15]
アンタイヤでのミニ合宿を利用してフェネルはそこで行なわれる4チームの短期トーナメントに出場する。コッパ・アンタイヤと呼ばれ1月11日から14日まで行われる。UEFA杯でのトーナメントでAZに備えてのこと。フェネルの相手はオランダのチーム、デンハアーグとなっている。勝ったチームは次の12日にジナモ・チビリシ(ロシア)とエネルジー・コッチブス(ドイツ)の試合で勝った方とぶつかる。
3位決定戦は13日。決勝戦は14日。試合はスーパーリーグで地元アンタイヤスポルが使っている街の中心スタジアムで行なわれる。
「どの相手も其々の国では一部リーグを戦うチームなので良い練習になると思う。」 とジーコは言う.
……
in [ニュース]

[2007.01.13]
ハ~イ。今回のポスティングでは写真とエピソードを紹介するよ。1枚目のショットは、私がフェネルバフチェのユニフォームを纏って、月曜日に行われた試合のシーンだ。テクニカル・スタッフのメンバーとしてプレス関係者チームと対戦した。なんとTVフェネルバフチェで生放送が行われ、拮抗した厳しい試合だったよ! 楽な試合ではなかったね! 前後半30分では6-6で終了したけれども、延長戦でペナルティーエリア外からのシュートで私が勝利ゴールを決めて最終的に7-6でゲームセット。
興味深いのは、我々は100周年オフィシャルユニフォームを使用し、プレス関係者は青と黄色の縦縞のオフィシャルゲームシャツを使用したことだ。
Tuncayがレフェリーを務めたよ。私が3ゴール、エドゥーが1ゴール、エドゥーのアシスタントであるOnderが2ゴール決めた。そして、我々のフィジオセラピストOrhanが残りの1得点を挙げたよ。
我らがフィジカルコーチのモラシー・サンターナは、ゴールネットは揺らさなかったが、素晴らしい中盤を務めたよ。我々は、Gokhan、Gemili、Murat、Samet、Volkan、Moraci、Onder、Edu、Zico、Dursun、Orhanのチーム編成で臨んだよ。更にはYilmazとKamuranも出場した。
下記の写真は、森林公園で我らがスタッフの、プレス関係者チームとの対戦に向けて準備中の風景だ。
そして最後に、スターゲームでのSeedorfとのナイスなショットな写真を紹介。 それでは、また後程!……
in [ダイアリー]

[2007.01.13]
毎週日曜日のグローボ・テレビ番組で約14分に渡ってフェネルとガラタザライのダービーについて特別レポートが放映された。試合が12月に行なわれたもの。レポーター、カルロス・ジルとカメラマン、エジソン・シルバは二つのチームの試合前数日を取材し、トルコ・ダービーについて歴史も少し取り入れて紹介した。
その翌週にはスポーツ・エスペタクラール番組で続きを放映し、フェネルに在籍するブラジル人を紹介、マルコ・アウレーリオの帰化とかジーコのインタビューも放送した。
……
in [ニュース]

[2007.01.12]
今年初めてのヨーロッパ・コネクションでは、皆さんが本サイトでお馴染みの、過ぎ去りし年について奥深い熟考を行う時間が今回はありません。我々は現実が許すスピードで突っ走っており、即ち、花火とシャンペン(年末年始のお祝い)は既に過去の行事なのです。今は、すぐに到来するであろう未来を考慮する時だと言えるでしょう…。
勿論、多少大袈裟に言っています。我々全員が、年末年始の家族との触れ合いで、過ぎ去りし多忙だった2006年を多少なりにも想起することが出来たかと思います。私は、ワールドカップ後に、フェネルバフチェの監督に就任したのですが、6ヶ月間と云う月日が幻のようなリズムで過ぎ去りました。特に、かのタイミングでは、グループを把握している段階で、チームを整える準備期間だったこともあり、チャンピオンズリーグへの出場権を逃しました!
クラブでの新たな方針への適応や、更には選手達の放出や遅れ気味で合流した補強勢なのです。大変難解な滑り出しでした。かたどられたチームに出くわしたのですが、実際には一部を解体して、新たなるかたどりを形成する必要性があったのです。これにはある一定の時間を要します。それ故にして、チャンピオンズリーグを逃したのですが、その反面UEFAカップを手に入れました。徐々に、チームは団結し、適切な選手の補強が行われながら、私自身がよりグループを把握しつつ、歩調を合わせることが出来たのです。欧州での一大会を敗退して、別の大会に参戦することが結果的にプラスとなりました。
チャンピオンズリーグでの敗退を我々は冷静に受け止めて、練習に励みながら更なる献身をする必要性を自覚したのです。そして、それを実行に移しました。後に、偶然の賜物としてではなく、実際に結果が表れ始めたのです。Superlig(トルコリーグ)では徐々に我々は勝利への道を見出して、チームは自己信頼を取り戻して行きました。UEFAカップでは「死のグループ」での闘いに挑み、生き残ることが出来たのです。更に、トルコ・カップでは適性を発揮して、セカンドステージへの進出を安定した展開で果たせました。
でも、ここで明確にしておくべき重要なことは、選手達にも話しているのですが、現時点では我々は未だに何も制覇していないのだという事実です。適時に我々は波に乗れたのですが、依然として敵にとっては撃退すべく最たる標的であり、今後の難関を乗り越えるための基盤を構築する必要性があります。チームの戦力は整っているのですが、釣り合いをとる必要があります。現在チームは、合宿地のAntalyaへはフィジカル面の強化を目的として来ており、この必要条件を満たせば、自ずと技術面で如何なるチームにも優ることが出来ます。
準備万端の確信を基に得ることが出来る自己信頼を、私は今後を戦い抜く上での大きな武器にしたいのです。現時点までは、選手達は誠心誠意取り組んでおり、全員が「制覇」の真価を、即ち、これらを達成することが各自の人生に多大なる影響をもたらすかを理解しています。特に、今年のようにFenerbahçe(フェネルバフチェ)が創設100周年を迎える特別な年にです。選手一人一人がクラブの歴史にその名を永遠と刻むチャンスに直面しており、正に重要なことでもあります。その反面、全ての敵が我々を潰しにかかって来るであろうことも、理解しておかなければいけません。自己を信じて、どんな障害をも乗り越える力を持ち、全員が更なるプラスアルファの献身をしなければいけないのです。
私が普段口にしているように、「個」としてピッチに臨んではならず、虚栄心は「家」に置いてくる時期なのです。試合をするのは「チーム」でなければいけません。このようにして私自身は強豪且つ常勝軍団に参加して来ました。目標に焦点を合わせて、常にベストを尽くせる準備が必要なのです。決してチームは11人の選手で編成されてはいけません。必要であれば何時でもピッチに入って貢献出来るように、全員が準備万端を追及しなければならないのです。正に私は手中にあるチームを多大に信頼しており、2007年度を大いなる期待感と共にスタートを切りました。勿論、不測の事態は常に生じえる可能性を秘めていますが、それらに立ち向かう気力と闘志に満ち溢れていることも解っています。
我々は前途に立ちはだかる茨の道を切り開くべく前進するのです。そして最後に、この新たな年へと受け継がれるであろう、2006年度の皆さんからの暖かいメッセージと支援、そしてJogo das Estrelas(スター・ゲーム)に食料品を贈与して下さった全ての参加者に、感謝の意を伝えたく思います。今回も素晴らしいイベントを開催することができ、我々の次回への責任も増す一方です。心からオブリガード(ありがとう)!
と云うことで、また来週こちらヨーロッパ・コネクションでお会いしましょう!
それでは皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!
……
in [ジーコの主張]

[2007.01.11]
やぁ~。20日間以上もご無沙汰していました。皆さんには改めて新年明けましておめでとうございます。こちら合宿地のAntalyaでは技術的な問題が生じており、カメラから写真をダウンロードできない状態です。従って、今年はクリスマスイブに行われたジュヴェントゥーデの草サッカーの写真をサイトスタッフが数枚選んでくれた。舞台裏の様子がメインだけど、後ほど他の光景をスターゲームの写真も含めて一緒に紹介するからね。
実兄エドゥーと親愛なるCelso Garcia氏の写真。
下記は又しても、携帯電話の応答でキックオフを遅らせているエドゥー!
恒例のArtur “Fera”主審とそのアシスタントレフェリー。
実姉ゼゼーのショット。
実兄トゥニッコがジュヴェントゥーデのトロフィー授与式をナビゲートしている様子。
Pedro Cirilo氏が特別ゲストの友人であるRoberto Dinamiteからトロフィーを受け取っている写真。
Globoesporte.comのスタッフが我々のイベントを収録してくれたよ。
それでは、また後程!……
in [ダイアリー]

[2007.01.10]
フェネルの新年度活動がこの木曜日から始まった。2007年が明けてから4日目、チームはアンタイヤの街で練習に入った。その場所は既に以前よりチームが中間の合宿を行なうために受け入れをしていた。広域に渡る海岸線を持ちとても居心地の良い場所である。ホテルなどの宿泊施設も整い観光的にも良くイスタンブールよりも温暖な気候である。その為、この時期になると他からも幾つかのチームが選手権の途中で充電するため短い合宿を行なっている。
フェネルはチームフルメンバーで2部練習を行なっている。アピアーだけがガーナでの個人的な問題を解決するために遅れているが、土曜日の朝には合流予定。
トルコ杯の日程で14日の試合が21日に延期されたことが確認された。平行してイスタンブールBBとの試合も変更になる。そこでフロントはその空き時間を利用してアンタイヤで行なわれる4チームの試合、11日から14日で親善試合を組む事を考えている。その内の1チームはオランダからのチームである。
ジーコのコメント: 「この街は伝統的に我々チームを受け入れている所で、ホテル自体が練習用のグラウンドも持っている。400キロメートル近い長い海岸線を持っていてけっこう気温が高い。1月から3月頃にはヨーロッパやロシア、ドイツなどからもチームが来ている。私達の泊まっているホテルにも7チームほど宿泊している。聞くところによるとこの地域には約40チームぐらい集まって練習しているそうだ。
ここでは2部練習をするようにしている。11日に親善試合だが、今年初のゲームを予定している。トルコ杯が延期となったため練習する時間がもっと取れて良いと思う。今は大事な時でクラブの100周年と言うこともあるし、大事な大会の最終段階に突入して行く。まだスーパーリーグの後半がそっくり残っている中でのことだから踏ん張らないといけない」
……
in [ニュース]

[2007.01.09]
フェネルのホームスタジアム、スクル・サラコグルスタジアムが100周年の一環として特別にイルミネーションで飾られている。プロジェクトはイタリアの世界でも有名な業者の手によって施行されたもの。
……
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[2007.01.08]
12月28日に行われたスターゲームの前座試合は毎回芸能人、タレントなどが入ったチームで行なわれるが、今回も変わらず人気者が集まって行なわれた。ガウーショ(元CFZ選手)の協力で黄色と青のチームが編成された。黄色チームにはチアーゴ・ラセルダ、アンドレー・マットス、ニコラス・シリー、カドウー・モリテルノ。マルコス・パウメイラその他の芸能人が入る。青チームにもチアーゴ・ロドリーゲス、エドワルド・ガウボン、エイトール・マルチーネースなど有名人が参加した。 ゲームは盛り上がり、加えて“フェーラ”で名の通るレフェリー、アルトウールがそれに便乗して珍ジャッジ。黄チームがゴールの嵐を量産。と言うのは黄チームにはブルーノ・コインブラが入っていたからだ。元パゴデイロのブルーノは黄チームの7得点の内6点をゲット、スコアは7対5で黄チームの勝利。24日に行なわれたペラーダでは得点をフィアンセのダヌービアに献上していたばかり。二人は先週の金曜日に結婚式を挙げたばかりの湯気の出そうなホヤホヤであるが、ブルーノは今回も貴賓席にいたダヌービアにゴールを捧げた。(最後の写真)
「彼がそうした事をジーコ・サイトを見てから知りました。今日は現場で実際に見ています。とても幸せです。」と恥かしそうにダヌービアが話した。
エドウーもいつもの様にこのゲームに参加したが、とても試合で走れるコンデイションではなくピッチ内ではどちらかと言うと監督役になっていた。「イヤ、大事なのは参加する事だからね。このようなイベントに参加しないわけには行かないよ」
と話す。反対に青チームにはファミリーの長としてトニッコが入り、新世代家族の最経験者として威厳あるプレーをしていた。
黄チームにはコインブラファミリーの長き友人でありCFZ・ド・リオの専属ドクター。ペドロ・シリーロが居た。芸能界に彼そっくりの芸能人が居ることから観衆から間違われるハプニングに出会う。
「彼はあのお笑い番組ゾーハ・トッタールに出る俳優じゃないか!?」とあるサポーターが叫んだ。 いやいやそれは無い。とサイトは否定するよ。
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[2007.01.07]
ジーコがフェネルを指揮し始めてから、サイトは黄色いカナリアの活動を追いかけてきた。初戦では3-2でメタルルグとの親善試合(7月15日)で初勝利を得た。公式戦ではチャンピオンズリーグの予選で7月26日B36を相手に4-0と言う圧勝。多くの勝利と大量得点を予感させるシリーズスタートだった。
こうしてジーコと共に歩んだフェネルを数字的な面から見ると、トルコ・サッカーの特徴である攻撃的なスタイルがジーコの持論と上手くマッチしながらも、守備の面でも力量は崩していないところが見受けられる。通算33試合の中で4得点以上をマークした試合数が8試合で、細かくすると2試合は6-0(エルシエスポルとイネゴスポル)、5-0が1回(B36)、4-0が2回(b36とシバスポル)。通算勝利数は21回になる。
同時に1試合の平均得点数は2,3点である。失点数は平均0,94点、もしくは1試合に1点ということになる。始りは守備面が弱かったにが、シーズン中に補強して守備も固まった点は注目に値する。攻撃陣の力もあるがこれまでの33試合で失点数は31である。
数字は更にフェネルが立地条件を上手く使っている点も覗える。ホームゲームの約70%を勝利に持ち込んでいる。アウエイーゲームでも勝率56%と高い。これはカナリアチームのコンスタントな面を示している。
2006年にジーコが加わってからフェネルは4つの大会に出場しているが、途中で敗退したのは1つある。それはチャンピオンズリーグである。現在フェネルはトルコ選手権では二位に7ポイント差の首位、トルコカップではセカンドステージへ進出決定、UEFAカップも決勝トーナメントへ進出決定している。
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[2007.01.07]
多忙を極めた短いクリスマス休暇が終わり、1月2日の夜にフェネルの指揮の為トルコに戻った。チームは次の試合の前にミニキャブを行う。
次の試合はすでに予選突破が決まっているトルコ杯の試合で14日に行われる。対戦相手はIstambul BB。またスーパーリーグは26日に再開される。相手は Erciyessporである。……
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[2007.01.06]
土壇場のサプライズはオランダからやって来たシードルフだった。3回目のスターゲームで観衆を驚かせ試合の中心的な人物ともなった。リオデジャネイロ市の近日に起きた犯罪組織の組織的な治安悪化の事態も試合は妨害しなかった。限られたスタジアムのスペースには満席の観客、入りきれない観客は外から現在と過去の名選手達を見ようと集まったが、警備面は完璧に機能していた。ロナウドは市内の険悪な状態を心配して現れなかった。他にもロビーニョ、デコとカルロス・アウベルト3人は悪天候でヘリコプターが離陸できずに参加出来なかった。
ジーコは喜びを表し再度試合が催される事を語った。
「私はこのサッカーセンターでみんなが集まって懇親を深めるのを見る度に感動を覚える。去年よりも3倍近い食料品も6トンも集まり、これも昔の仲間や多くの選手達が来てくれるからこそと思う。もう来年のことまで考えているよ。さらに多くの苦しんでいる人々を助ける食料を集めたいからね」とジーコが話した。予想以上に集まった6トンの食料品は今年10個所に増やされた配達先に配られる。
キックオフ直前に周囲を驚かせたのはシードルフである。ミランの選手でブラジル人の夫人を持つ彼は、ジーコの要望に答え幼い頃の夢を叶えた。
「僕が幼い頃ジーコのプレーを見ていた。その彼と一緒にボールを蹴れるなんて夢だった。こうした試合に参加できて嬉しいです。家に帰ったら早速両親に電話してジーコとジュニオールとサッカーしたよ、って話したい」と、オランダ人選手は流暢なポルトガル語で話した。
シードルフはゲームでジーコとチアーゴとで壁パスの交換して見事なテクニックも披露して観衆の大拍手を誘った。赤チームの2点を彼が決めた。試合後ジーコからMVPのトロフィーを渡され愛嬌を振りまいていた。
今回はジーコの得点シーンは見られなかったが、観衆の応援や拍手は止まなかった。白チームではヴァグネル・ラブが昨年同様大活躍でアシストもすれば自らも3得点を決めた。
ジーコは90分ピッチでプレーし8-5で勝った。
両チームのメンバー;
赤チーム; ゼー・カルロス、レオナルド・モウラ、ジュニオル・バイアーノ(ジャイメ)、ゴンサウベス、レオナルド(ロージェル)(ファビーニョ)、ジュニオール(レニー)、エメルソン(ジーニョ)、シードルフとジーコ、チアーゴ・コインブラ(ベベット)、アモローゾ。監督=レナット・トリンダーデ。
白チーム; アカーシオ(エメルソン)、ガブリエル、ファビアーノ・エーレル、マウロ・ガウボン、ジュリオ・セーザル(デラシール)、アジーリオ、アイルトン、ジジャウミーニャ、(マルセリーニョ・カリオッカ)、ロベルト・ジナミッチ(アオンドラーデ)、ヴァグネル・ラブ、クラウジオ・アドン(アレックス・ジアス)。監督=レナット・ガウーショ。
得点者;シードルフ(16分)、アモローゾ(19分)、レオナルド・モウラ(29分)、ヴァグネル・ラブ(32分)、アレックス・ジアス(48分)、ジーニョ(53分)、シードルフ(57分)、ジーニョ(62分)、ベベット(66分)、ヴァグネル・ラブ(71分)、アモローゾ(75分)、ヴァグネル・ラブ(76分)、マルセリーニョ(86分)。
スターゲームの前座試合では芸能人チーム等が参加し、ミュージシャンであるブルーノ・コインブラは黄色チームに入った。結果は黄チーム7-5青チームで黄チームの勝利だったが、ブルーノはその内の6得点を記録した。
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[2007.01.05]
ジーコは12月26日にスターゲームについての合同記者会見に時間を割いた。28日に行われた一つのチャリテイウイーマッチの為で、今年は3回目となりブラジルサッカー界の有名選手が集まった。ジーコはこの記者会見をあえて行ない、サッカーセンターの講義室が報道関係者で一杯になってしまった。今年のイベントで約6トンからの食料品が集まったが、これらは全てリオ市内の孤児院や慈善養老院などへ配られる。
「もしこのスターゲームが今年も大成功に終ればこのアイデアを買ってくれた皆さんのお陰となります。改めて御礼を言いたい」とジーコが語る。
2014年ブラジルワールドカップやフェネルでの活動の話題に入る前にジーコはこれまで2回のスターゲームが息子のジュニオル・コインブラとアラン・エスピノーザが係わるイーグル社の存在で開催できた事とその思い出話をした。
「1回目に行なった時には招待した仲間や見に来てくれた人達に多いに楽しんでもらった。あの時に引き続き出来そうだと言う事を感じた。それで昨年は忘れもしないマラドーナが参加してくれフェスタを盛り上げてくれた。彼は諸々の問題を克服して私達の年代では最良と言われた選手をこのサッカーセンターにつれて来てくれた。私にとっても大変嬉しいことでした。」と、もう一度成功に終る事を期待した。
ゲームについては観戦したい人々が多く、全員を収容出来ないことが残念である。「もっと場所が欲しいのだが、センターにもリミットがあって残念ながら多くはスタジアムの外から見ることになってしまう。次にはこの辺りをもう少し改善したい。」
記者会見の後には集まった食料品の前でジーコは息子のジュニオルと写真に収まった。
ジーコ・サッカー・センターは殆ど準備も出来ているが、ジュニオル、アランその他スタッフが忙しく動き回っている。招待した名選手達への接待準備に観戦に来る人達の場所造りも特にチェックをしている。入場券はマグネットカードで作られ偽物が出来ないように工夫され警備面も補強した。「出来る限りいいイベントにしたいからもう何ヶ月も前から準備してきました。」とジュニオル。
長男がフェスタの準備に追われている傍らでは末っ子は木曜日の試合に備えて準備を強化している。チーアゴ・コインブラ、ゲームでいいプレーを見せたいと意気込んでいる。
「前の2回とも僕は活躍したからね。その中で僕のサッカーが認められた事がある。まだ活躍できると思うし今回もチャンスがあると思う。いろんな人が試合を見ているしまだ契約できる時でもあるからね」と末っ子が話す。
チアーゴはフラメンゴと契約していたが試合に出るチャンスが無かった。そうこうしている時に海外からも話はあったが、来シーズンは国内のチームに落ち着きそうである。何処のチームかはまだ秘密らしいが、情報では話がある程度進んでいるらしい。
輝くゴールポスト - エドウー・コインブラが考えついた輝くゴールポストが今回の目玉商品?である。昨年度も試みたが残念ながら光の関係で不成功に終った。電球が光りすぎてしまったのだ。エドウーは光りの色を変えて対策を講じた。「今年は青色にした。CFZ・ド・リオのチームカラーでもあるから。きっと素晴らしいショーを見れると思う」とエドウーが説明する。
新しい対策とはゴールが決まった時に枠全体が光りの点滅をするというもの!
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[2007.01.04]
昨年の伝統的なジュヴェントウーデ・デ・キンチーノのペラーダ(草サッカー)はアントゥーネス兄弟が結束して感動的に盛り上がった。今年はこの24日、ジーコ・サッカー・センターのピッチがペラーダの騒がしさに奪われた。ジーコの休暇カレンダーが忙しく詰まっているためとエドウーの都合によって今回はクリスマス・イブの前に行なわれた。ピッチには親子それぞれの1代目、2代目から3代目までが入り混じって混戦。ピッチ外ではこれからジュヴェントウージのメンバーに入るであろう子供達と選手の親戚関係が声を張り上げた。
点数はあまり気にしていない。今回は最近結婚したばかりの次男のブルーノ・コインブラが既婚者チームに入って中心選手になったが相変わらず相手のネットを何度も揺らしていた。ブルーノはゴールするたびに結婚指輪にキスをして愛妻ダヌービアへ得点を捧げた。白チームにはジーコが入っていたが、ブルーノとチアーゴの二人の息子と一緒になった。ジュニオールは相手の赤いユニホームチームでプレーしたが得点もした。
赤チームと白チームの熱戦が繰り広げられたが、伝統的なコインブラ・ファミリーの出来事であるのを感じさせた。エドウーとナンド、ドウドウー(エドウーの息子)が赤いチームに入っていた。赤チームの特別招待者は歌手のベベット、それにフットサル日本代表監督であるセルジオ・サッポが入る。更に記録すべきはコインブラ・ファミリーの肉親と言ってもいい位で少年ジーコをフラメンゴに連れて行った責任者、ラジオ・アナウンサーのセルソ・ガルシアが特別参加したこと。
アントウーネス・コインブラ家で最年長のトニッコもパーテイーに現れた。が、ゲームには参加せず後のパーテイーの準備を担当した。兄弟の仲で唯一の女性であるゼゼー・コインブラも毎回欠かさずパーテイーに参加して男兄弟たちがピッチでボールを蹴っている頃食事の準備をした。ペラーダには参加しなかったが、招待された中にロベルト・ジナミッチもジュヴェントウーデの仲間達も集まっていた。
ペラーダの後にはコインブラ・ファミリーが用意した美味しいトロピカル・ブッフェがご馳走された。イン・ブラーザと言う肉料理専門店を経営するファビオ・ソドレーがお膳立てした食事に冷たい飲み物が参加者を満足させクリマス気分を提供した。
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