ジーコがイスタンブールのドーマバフセ宮殿を紹介する
[2006.10.23]
イスタンブールでも年間でこの時期10月から11月にかけて、最も訪問者が多い観光ポイントに、オトマノ帝国の権力者住居となり、後にトルコの歴史でも有名なムスターファ・ケマリが使ったドーマバフセ宮殿がある。ムスターファ・ケマリはトルコでも有数のリーダーで1923年に共和制国家となっての初代大統領になった人物である。
宮殿はボスフォロ海峡の直ぐ横に位置している。海峡は西アジアの部分を分けていて、そのほとりにスイスホテル(私が2ヶ月滞在したホテル)が在る。宮殿を訪問見物する機会もあったので、見聞きした事をサイトを通じて読者の皆さんに紹介したい。
ドーマバフセ宮殿は大変贅沢で豪華に造られている。30からなる部屋、サロンがそれぞれに細かな建築の仕上げを施され、煌びやかさが豊富である事を示している。この様な場所に興味がある人には更に30幾つものサロンで(これらサロンは言わばハーレムとして使われていたとか)権力者たちに仕える美女たちが生活していたことを想像させる。横の一角には時計の博物館もあり、多くはフランス人たちが作った品物は珍しい。
さて、宮殿の主であったムスターファ・ケマリの話をすると、1919年頃に国家運動に積極的なする軍人であった。トルコを独立させ共和国の設立を達成する。ヒーローとなりトルコの共和国初代大統領に就任したことで有名になった。彼は国内すべての分野で近代化を積極的にすすめ、国民から“アタトルク”と言うニックネームで呼ばれた。訳すと“トルコの父”と言う意味だそうだ。国民がその様に国のリーダーを慕う姿を見るのは興味を誘う。彼は1938年11月10日に死去している。彼の名は国内の空港、サッカースタジアムや各地で付けられ残されている。
トルコでは毎年11月10日は元大統領の命日として国の祭日となる。当日の午前9時5分には全国で通信関係から多くの国民が1分間の黙祷を捧げる。国にとっては悲しい一日である。ブラジルの現実から遠く離れた宮殿はそうしたトルコの精神を少し伝え歴史も少し教えている。