「欧州の変革」
[2006.10.14]
以前のコラムで私は、現代サッカーの新たなる現実である監督の職務問題に関して繰り広げる機会があったかと思います。この変化や相違など関しては私の見解と推論でもあります。この分野の話題は大変豊富であり、本を丸々一冊執筆できる程です。しかしながら、今週のヨーロッパ・コネクションでは、現在はこちらトルコに滞在して、以前よりもより身近で見守っている、UEFAユーロ2008の予選に基づいて、このテーマの新たな局面を取り上げます。
南米サッカー界では習慣的とも言える頻繁なる監督の交代劇も、今日では既に国境は取り除かれて、本格的にヨーロッパへ辿り着いたのではないかと察するのです。グロバリゼーションだと指摘する者も存在するでしょうが、その主張だけでは余りにもこの議論はシンプル過ぎます。ここ数年に亘りスポーツを巻き込むビジネスの動きが活発化しており、勿論スポーツビジネスの観点から捉えればプレッシャーは倍増します。一回の敗北の重みは増し、8年間という長期体制の監督は既に一般的な存在ではなくなりました。
伝統国とも称される、イングランド、ドイツ、そして優勝国のイタリアさえも、W杯後にはそれぞれ新たに、Steve McClaren(スティーブ・マクラーレン)氏、Joachim Löw(ヨハエム・レフ)氏、Roberto Donadoni(ロベルト・ドナドーニ)氏へと監督の交代を行ったのです。優勝監督であるイタリアのMarcelo Lippi(マルチェロ・リッピ)氏に関しては自らの意思で退陣したこともあり大変興味深い一例で、後任へのプレッシャーは膨大であり責任重大だと言えるでしょう。1980年代にACミランで活躍をして数々のタイトルを獲得した、偉大なるプロフェッショナルRoberto Donadoni(ロベルト・ドナドーニ)監督には、世界の頂点へと登り詰めたチームを指揮する使命が待ち受けています。勿論、期待するは今後もアズーリが勝ち続けることでしょう…。
そして、イタリアと言えば、私が先週イタリアを訪れた際に彼と偶然にも電話で話をした、Enzo Bearzot(エンツォ・ベアルツォット)氏のことを想起します。彼は1977年から1986年にかけて3度に亘り連続してW杯でイタリア代表の指揮を執っており、現代の標準から考えれば極稀な長期体制のケースなのです。更に、過去、代表監督として中長期に亘り目覚しい仕事で歴史を築いた人物の名前を数多く挙げることが出来ます。でも、現状は異なります。W杯ドイツ大会から引き続いて指揮を執る監督勢は、生き残るためにはUEFAユーロ2008の予選で好結果を残す必要があることを認識していると言えるでしょう。勿論、プロフェッショナルへの敬意が伝統的に欠けるブラジル程ではありません。こちらでは、契約は尊重され、プロフェッショナルは誠実な扱いを受けます。そして、契約解除が行われる際には、常にFIFAが目を光らせながら身近で監視しているのです。
全てがこの主題に結び付いてしまうことで、既に私が以前にも取り上げた過剰権限が故に、監督の任務の全うに伴う消耗度が増した事実を述べざるを得ません。あらゆる決断をする監督は必然的に更なる要求とストレスにさらされます。過去には、役割分担が明確だったことで、敗北はチーム全体の問題として捉えられ、監督唯一人に責任を負わせずに進路変更が行えたのです。
新たな現実なのです。拮抗的闘いは厳しく、決して安定性は無いと言って良いでしょう。正に綱渡りであり、常に重心を取りながら前進する覚悟をした者が参戦できるゲームなのです。
と云うことです! 皆さん、ウン・グランデ・アブラーソ!
それでは、また来週お会いしましょう!